Calcio

今日のアジアカップ、是非日本に勝ってほしいですね。日本代表が20年前こんなに活躍するとは思わなかった頃、イタリアで見たワールドカップは興奮そのものでした。1990年イタリア大会、第一ラウンドの1試合目のオーストリア戦は営業したのですが、ほとんどお客様が来なかったのを記憶してます。あと今はどうか知りませんが当時イタリア戦の時は、アルコールの販売が禁止でレストランも例外でなく、ノンアルコールワインいわゆるぶどうジュースを出してました。そしてこういう大事な試合の時は必ず誰かがテレビを持ってきて、アルミホイルでアンテナを作り、厨房でみんなで観戦したのを思い出します。2試合目のアメリカ戦からイタリア戦の日は夜の営業が休みになりました。スーパーも早く閉まるので、仕事帰りに寮のイタリア人と晩御飯の買い物して勿論アルコールは販売してません。しかし寮の買いだめしたワインを飲むのはOKです。なんのこっちゃわからん規則でした。イタリア大会は後にジュピロ磐田で活躍?したスキラッチが殆んどゴールを決めたのですが、チェコスロバキア戦のロベルトバッジョが決めたゴールが一番印象に残ってます。私にとって彼は今でもファンタジスタです。その時バッジョがフィオレンティーナからユベントスに電撃移籍する時で、それ以来黒と白の縦縞という事もあり、デルピエロがキャプテンの今でもずっとユヴェンティーノです。準決勝はマラドーナのホームスタジアムサン・パオロでアルゼンチン戦。寮でご飯を食べながら7人で観戦。PK戦になり4人目のドナドーニが外し「Oh Dio! Mamma mia!」全員が叫び、マラドーナがきっちり決め「Mannaggia la miseria!」全員がブーイング。そして5人目のセレーナが外し「・・・・・・・・・」。その後5分位沈黙が続き、「Buona notte」だけの言葉だけで皆寝たのを記憶してます。後にも先にもあんなおとなしいイタリア人を見たのはその時だけです。ただし次の日からは、なぜ敗戦したのかでまかないはいつも通りのにぎやかでした。結局、先発でバッジョを外し大空 翼並みのオーバーヘッドキックの名手ジャンルカ・ヴィアリを先発に入れたアゼリオ・ビチーニ監督が戦犯になりました。貴重な体験が出来ました。

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