最近立て続けに一緒にイタリア時代を過ごした先輩らと会う機会に恵まれました
日本で3年働いてからのイタリアで未熟な私を励ましてくれた先輩達です
最初のお店で、入った時と辞める時に引き継ぎを2週間くらい一緒に働いた以外は、どのレストランでも日本人私一人の状況でしたので、先輩らと時々ご飯を一緒に食べに行ったり、ワイン飲んだりという時が一番リラックス出来て楽しかったです
でもあの2年間のイタリア生活がほんまに修行だったのかなと、この年になって思うところがあります
イタリアから帰ってからは修行というより試練の連続でした(今もですが)
この前お会いした先輩がブログで書かれておりますが一緒の心境です
https://wr-salt.com/frascati/live/#753
ティラミスブームから30年、その間にトラットリアブームがあり、プリフィクスブームがあり、京野菜イタリアン、ピッツェリア 、シチリア料理、バル?バールなどなど色々な流行りがあったイタリア料理です
ブームを作るのはもしかしたら簡単なのかしれません(ほとんどマスコミさんが作ってくれます)が、それを継続させるにはどれだけ太い幹まで育てれるかだと思います
その幹を私はイタリアから帰ってからずっと”郷土料理”という思いでやってきました
今でもイタリア20州の郷土料理の日本の幹を少しでも太くしたいという思いです
私が出来るのは、自分が働いた州の郷土料理ですが、その中でもローマが一番長く働いたので、当店はローマ料理中心でメニュー構成しております
お店の肩書きとして選んだエノテカもローマのエノテカを憧れてつけたのですが、今の当店だったらオステリアかトラットリアの方が良かったかもと思っております
日本人にとってのイタリア料理の幹は、私も尊敬している落合シェフのイタリアンかなと思います
あの時代のシェフ達が数多くあるイタリア料理から選んだ料理って、よくこんなにいまだに日本人に受ける料理を選んだなと思う時があり尊敬しております
当店のメニューは万人受けするとは思っておりませんが、ローマの人達が普段食している料理を少しだけ贅沢にしたメニューで構成しております
この前肉料理だけのローマ料理をさせて頂いたのですが、素直な感想としては、まだまだ早いなというか肉料理だけでは一生無いなというが素直な感想です
肉料理と野菜、プリモはトマトソースかズッパ
そんな素敵な食堂がいっぱい京都に増えて欲しいですね
ただ一番大事なのは、毎回仲の良いメンバーではないかもしれない、家族では無いかもしれない、もしかしたら一人かもしれないけど、折角の縁で囲んだテーブルメンバーで楽しんで食事をするという事です
おおいに会話して、呑んで、歌って、踊って、時には泳いで(??)
というのを一番イタリアで学んだような気がします