periodo storico

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何か分からないけど

何か違うのが大事

目に見えない所で行われてる事が

しっかりしている事で

何か違いがあるというオーラが出た時に

そこは行かないといけないお店になる

かかわらないといけない人になる

今年一番こころに残った言葉です。

 

中島みゆきの”世情”がずっと頭の中で流れてた一年でした。

そして、中島みゆきの”時代”で乗り越えれた一年でしたが、色々考える一年でもありました。

お店をするという事

人と一緒に働くということ

人と繋がるということ

いつ辞めたのかも知りませんが、何も言わずにロッカーの自分の荷物だけ取りにくる元バイトさん、そんな時代です。

研修中に、就活したいんでこんなとこもう辞めていいですか?と言われた元社員君、そんな時代なんです。

新入社員で、お父さんが”息子が辞めたいと言ってます”と言われた親子、そんな時代なんです。

まだ正直立ち直れてないところもありますが、こんな私でもまだ支えて付いて来てくれるスタッフがいます。その子達と同じ方向を向きながら歩けるように、自分の芯をしっかり持って接したいと思っております。

そして、何よりも長岡京時代からのお客様から、ボッカオープンからのお客様に支えられて、料理を作らさせていただいてるのだと思った一年間でした。本当に感謝しております。

全ての人に受ける料理とかのお店とかではなく、観光客相手の名ばかりのトラットリアとかではなく、本質を見極めた料理を、自分を覆っていた殻から抜け出して、新しい事に挑戦したいと思っております。マスコミとか流行りとか関係なく自分にしか出来ないこと。自分らしさを出せたらと思っております。

その為に今一度、料理を再確認したいと思っております。料理を分解・再構築などには全く興味がないですが、イタリア人が文明の力を利用しないで、あえて何故要領の悪い作り方をしてたのか?ストレスのない無理のない料理とは何だろう?を今一度考え、今まで当り前にやってきたことのタブーを確認したいと思っております。

なぜ今までタブーを犯してきたのか?

日本人が想像するイタリア料理では無いからです。

ピス太郎(勝手にあだ名変えました)が、半年で肉料理と魚料理と変えてますが、ある意味、イタリア料理の理に適ってると思います。日本人からすると、イタリア料理といえば魚料理のイメージが強いと思いますが、実際には海沿いのレストランしか魚料理はないです。そして、魚料理食べるとしたら前菜からセコンドまでずっと魚料理です。肉料理を食べると前菜からセコンドまでずっと肉料理です。魚、肉料理を両方少しずつ食べるなんて、イタリア人からしたらありえない食べ合わせです。

日本人が想像出来ないイタリア料理ってなんだろう?

それは、パスタ料理のないイタリア料理です。

来年、祇園祭までには、始動します。

今日で、今年の営業は終了します。

新年は、6日のディナータイムより営業いたします。

 

 

 

 

 

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